プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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現象サイドから考える

こんばんは,ゴドーです。


今日はかなり技術寄りの人と話す機会がありました。

同じ問題に対しても視点が違っていて面白かったですね。


雑談の中で出た話として,給茶機のボタンが押されたことをどう判定するかという話が。

煎茶・麦茶・湯水の3ボタンが並んでおり,それぞれがどの時刻に押されたかを知りたいという問題です。

例えばボタンにセンサーを仕込むとか,ボタンを押そうとする指を検知するといった手段がありそうですね。


しかし話していた相手の人が提案したものが面白くて,給茶機の両脇に振動センサーをつけて,振動波形を機械学習で判別するのはどうかと。

給茶時に振動する場所は飲み物によって変わるので,振動パターンから選ばれた飲み物を判別するのは,技術的には可能でしょう。

データを3クラスに分類しようとすれば,結構性能が出そうな気もします。


相手の人はおそらく,給茶機が動く様子をイメージして考えたのでしょう。

何気なく使っていると意識しませんが,言われてみれば給茶機はかなり振動しています。

特にお茶を出すときは,粉を押し出すために一際振動していますし,煎茶と麦茶を出すときは揺れ方も違うはずですね。


選ばれた飲み物が知りたいといった目的から考えると,しばしば直線的な答えしか見えなくなってしまうかもしれません。

実際に起っている現象の観察から始めるというのも,またひとつ大切な視点だなあと思った次第です。


それでは,また。

/ゴドー

図書館の貸出システムが素敵

こんばんは,ゴドーです。


今日は図書館で予約していた本を受け取りました。

自分が済んでいる市の図書館では,本の貸出にスタッフさんの手を煩わせることなく,借りる側が自分で貸出処理をすることができます。

本を貸出コーナーの机上に積みあげると,機械が自動的に借りようとしている本を判別してくれるのです。


どういう仕組みか正確には分かりませんが,本の表紙や裏表紙にバーコードとともにICカードが貼り付けられており,読み込み処理が行えるようになっているようです。

電波を透過する本だからこそ可能になるシステムということですね。

全ての本にICカードを貼り付けるコストはかかるものの,いざ用意さえしてしまえば,貸出にスタッフの労力を割かなくてよいという利点があります。

また仕組みが簡単なので,誰にでも使いやすいというのも,図書館という公共の場に適していますね。


世の中コストをかければできることは多いですが,高いコストはしばしば利用者に跳ね返るもの。

高級志向のサービスなどはその代表ですね。

よいサービスであっても,多くの人がその利益を享受できるようにすることは難しいですね。


その点,図書館の自動貸出は素晴らしいですね。

利益性を求めていない施設だからこそ実現している面もあると思います。

しかし,技術で世の中をより良くしていくには,こういうところを突いていくのがよいのでしょう。

多くの人の生活をちょっとずつでも便利にできれば,その累積はけっこうな幸福になるのではないかと。


そんなことを考えながら,ありがたく便利な図書システムを利用しております。


それでは,また。

/ゴドー

自己否定できる大切さ

こんばんは,ゴドーです。


『なぜ疑似科学を信じるのか 思い込みが生み出すニセの科学』を読み終わりました。

世の中,疑似科学を広めるような本や,それに対する警鐘を鳴らすような本は多数あります。

しかし,そもそもなぜ疑似科学が普及してしまうのか? という点を語っているところがこの本の特徴。

著者は心理学の人なので,主に心理的な方向から疑似科学が信じられ広められる仕組みが述べられています。


疑似科学と科学の何が違うのか。

著者も繰り返し述べていますが,必ずしも研究対象によって区別しているわけではないのですね。

例えば超能力研究と聞くとアヤシイと感じるひとも多いかもしれませんが,これだってちゃんと科学足りうると。


では,両者の相違点はどこなのかというと,その理論体系の中で,理論体系自体を修正する仕組みがあるかどうかということでした。

たとえば科学の世界では研究成果を論文として学術雑誌に投稿することで共通知としていきますが,その過程で他の科学者の査読が入り,内容がチェックされる仕組みがありますね。

また,研究が進むに連れて過去の定説が覆ることも分野によりますが珍しいことではありません。


一方,疑似科学の特徴としては,自己の誤りを認める機能がないことであると。

自説に有利な研究結果は強調する一方で,不利な研究結果は黙殺したり,そもそも初めから反論されないような閉じた世界の中だけで研究発表したりするなど,批判と自己修正を許さない性質をもっているということですね。


自分自身の誤りを認めるというのは,なかなか難しいことです。

自己否定のためには,自分自身を客観的に見るメタな視点が必要になります。

知的な営みのなかでも,一段高度な働きであるといえるでしょう。


また,行き過ぎた自己否定は自己それ自体の価値を無為にしてしまう危険性も孕んでいます。

人間の場合でも,自己評価があまりに低すぎると鬱や自殺につながるなど,よろしくないことは間違いありません。

同じように,科学は自己批判のシステムをもつのだから科学の理論体系自体も本質的に信頼できないなどと,極端に考えてしまうひともいるかもしれません。


しかし,過剰な自己否定は不健全であるものの,やはり適度に自信を内省することは必要でしょう。

自分自身の誤りを認められるというのは,長期的に見てよりよい結果を生むためにも大切な姿勢だと思います。

また,個人的な感覚ですが,自身の誤りを認めて直せる人や思想は器が大きいと感じます。

なにかを信じるならばそういった器の大きなものがよいし,自分自身もそうありたいと思うものです。


批判されて守りに入ってしまうのは本能的な反応であろうと思います。

実際,疑似科学を信じるひとのなかには,周囲の反対を受けてより強固に信奉するようになるひともいるでしょう。

それは人間の機能として自然かもしれませんが,やはり自分としては,本能だけにとらわれない理知的な態度で物事に臨みたいと思う次第です。


それでは,また。

/ゴドー

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)

久しぶりの朝ボクササイズ

こんばんは,ゴドーです。


今朝は久しぶりに起きた直後の「Fit Boxing」をしました。

連休中は休止していたし,連休後も体調の悪さを理由に休んでいたので,半月ぶりのボクササイズでした。

間が空いた割には結構動けてよかったです。


やはり,朝運動するのはよいですね。

15分程度で程よく汗をかき,そのままシャワーを浴びて着替えるという流れがよいです。


運動で汗をかくのも久しぶりです。

適度に汗をかかないと,汗腺が詰まって体臭の元になるそうですね。

これから汗をかきやすい時季になるからこそ,適切に発汗することが必要かと。


とりあえず,明日からも続けていくことが大切ですね。

布団から出てSwitchを起動するまでが心理的ハードルなので,ここをなんとかできればよいのですが。


それでは,また。

/ゴドー

Fit Boxing (フィットボクシング) -Switch

Fit Boxing (フィットボクシング) -Switch

久しぶりにボイスチャットで

こんばんは,ゴドーです。


今日は高校時代の友人とNintendo Switchのオンラインプレイで遊びました。

LINEの通話グループでボイスチャットしながらのプレイ。

久しぶりの経験でとても楽しかったですね!


普段のオンラインプレイでは,その場でどこかの誰かと即席でマッチングしています。

いわゆる野良マッチングですね。

相手のプレイヤーネームくらいは分かるけれど,年齢も性別も所在地も,パーソナリティについては全く分かりません。


知らない人と遊ぶときは,それくらいの不透明性がいいですね。

サクッと集まってサクッと解散する方が適切なので,いいデザインだと思います。

それに,全く知らない相手で,コミュニケーションの方法も限定されていたとしても,けっこう心が通じたりしてそれが楽しかったりも。


しかし,やっぱりリアルな友人とのゲームは格別です。

会話しながらの連携といった普段できないプレイングが可能だというのも面白さのひとつですが,そもそも親しい者の間で一緒に遊ぶのは楽しいもの。

離れて暮らしていてもオンラインで一緒に遊べる。

素敵な時代に産まれたものだなあと改めて思った次第でした。


それでは,また。

/ゴドー

「Cの次に背が高い人は」について思うこと

こんばんは,ゴドーです。


ここ数日のTLで面白い話題が出ていますね。

5人の人が並んでいて,真ん中の人の次に背が高い人は誰かという質問です。

皆さんならどう答えるでしょうか?


投票結果を見ると回答は概ねBかDで,その比はおおよそ1:2のようです。

定量的でシンプルな設定でも意見が割れるのは面白いですね。

ちなみに僕の答えは「B」でした。


コミュニケーション面での話題はさておき,自分がなぜ「B」を選んだのか。

後の質問にもあるように,素数列ならば「11の次に大きな素数」に対して7ではなく13と答えますね。

思うに以下の3点が判断要素になっているようです。


①形容詞の有無

「Cの次は」「11の次は」のように形容詞がなければ,インデックスについて昇順でひとつ大きいものを選びます。

すなわち,Cの次はD,11の次は13です。


②要素数が有限か無限か

素数が無限ならば,インデックスについて昇順でひとつ大きいものを選びます。

すなわち,11の次は13です。


③形容詞によってソート

形容詞が「高い」ならば高さに対して降順に並べたとき,インデックスがひとつ大きいものを選びます。

すなわち,高さの降順だとE,D,C,B,Aの順に並んでCの次はBです。

もし質問が「Cの次に背が低い人は」ならば,僕はDと回答します。


この判断基準が絶対だなどと言いたいわけでは決してありません。

ただ,こういう機会に自分がどのように言葉を捉えているかを知ることは大切だと思います。

言葉は思考に使う道具であると同時に,コミュニケーションのツールでもあります。

自分が言葉をどのように認識して使っているか,そこのバイアスを正しく理解しておくことが,スムーズな意思疎通には必要不可欠ではないかと。


それでは,また。

/ゴドー

やっぱり胃の調子がよくない

こんばんは,ゴドーです。


うーん,火曜日からどうもお腹の調子が悪い。

胃にシクシク痛みがあり,また軽い嘔吐感もあります。

熱はないし身体も動くのですが,内臓がやられている感じです。


さらに,今日の夕方から喉が使えるような感覚も出てきました。

胃液が上がってきて喉がやられたのかもしれませんね。


もともとお腹を壊しやすい方ではありますが,胃が痛むというのはほとんど経験がないので弱っています。

なにか悪いものを食べたとか,原因もハッキリしませんね。

連休中の不規則で慌ただしい生活が続き,自律神経がおかしくなったのが一因かなとは思っていますが。


とりあえずこの土日は安静に過ごして,調子回復に努めたいと思います。

週末で体調が戻らなければ,週明けに消化器科を受診することも考えています。


身体を壊すと気も沈むしよくありませんね。

早いこと治してしまいたいと思います。


それでは,また。

/ゴドー