プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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研究と開発は何が違うのか?

同僚と議論していて、おもしろい結論を得たのでメモ。

 

結論から言うと、

  • 今あるニーズに応じて技術やものを生み出すことが「開発」
  • 今はニーズがない技術やものを生み出すことが「研究」

つまり、どんなにシーズとしてのハードルが高く、未だこの世にはない技術や製品を創る必要があったとしても、ニーズ自体は既にあるものであれば、それは「研究」ではなく「開発」であるということ。

 

ときに「研究開発」と一括りにされることもある「研究」と「開発」。どのように役割が違うのか、民間の研究所で働いていると分からなくなるときがある。例えば数理モデルで実験するためにプログラムを書いているときなど、「研究」のつもりで行っているけど、作業自体は「開発」に近いんじゃないの、とか。

そんなときは、今行っている作業が完成した暁に生まれる価値を考え、この原則に従ってみると判別がつく。すなわち、世の中にあるニーズ価値を生むのであれば、それは開発だし、そうでなければ研究である。

 

ここでのポイントは、研究によって生み出される価値がたとえ今現在の世間で求められているものでなかったとしても、少なくとも研究者自身は、その研究成果がもつ価値について理解しておく必要があるということである。

その理由は、ひとつには共同研究者や出資者に研究が生む価値を説明し、協力してもらうという必要があるからだが、その他にも重要な理由がある。それは、研究者が信じる研究の価値そのものが、研究に迷いが生じたときに指針を決めるカギとなるからだ。

 

研究に行き詰まったとき、「何をやろうとしていたのか(What)」に立ち返っても、あまり良いことがない、というのが私の経験である。大体の場合は、これまでの作業をより複雑化したり、ただパラメータを少し変えて焼き直すだけになってしまう。大切なことは「何のためにやろうとしていたのか(Why)」を問うことである。目的を思い出して、それを達成するための手段を素朴に考えれば、いつかは良い手段を思いつく。

この「何のためにやるか」という問いかけは、「何の役に立つのか」と大本で似ていると思う。目指すべき価値が分かっていれば、そこに向かうべき方法を様々試していったとしても、大きく迷うことはないはずだ。たくさんある登山道を行ったり来たりしていたとしても、山頂自体が常に見えているのであれば、少なくとも迷子にはならない。

 

とはいえ、既に共有されたニーズがないところに価値を見出すことは、当然ながら簡単な話ではない。ありとあらゆるものに問題意識をもちながら観察し、そうして蓄積されたその研究者固有の知見があって初めて、潜在的なニーズ“のようなもの”に気が付くのだろう。

ここで、“のようなもの”としたのは、研究成果が本当にニーズとなるかどうかは分からないから。潜在的ニーズの発掘は非常に難しい問題で、たぶん人によって打率に大きく差はあるはずだが、失敗は避けられないものだと思う。なので、研究にはなるべく失敗を許してくれる環境が必要だし、失敗の仕方を考えながら研究を進めることも大切だと感じている。

 

まだまだ潜在的ニーズなんて全然見えてこないが、いつかは見出せるようになるつもりで、いろんな物事を見ていかなければいけないんだろうなぁと思う今日この頃。