プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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過去の時間を書き残すということ

こんばんは、後藤です。

 

 

金曜日は私の誕生日でした。仕事後に相方さんと食事に行き、久しぶりにぐっすり眠りました。今朝はとにかく寝坊しようと思っていたのに、結局いつもの時間に目覚めてしまいます。今週は旅行疲れが残り、全体的に眠い週でしたが、ようやく日常に戻ってきたような気がします。

 

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山形旅行中の写真・山寺駅

 

前回の誕生日から1年間、色々な経験をすることができました。過ぎた時間はあっという間のように感じがちですが、よくよく思い出してみると、様々考えて行動してきたなぁと実感します。

人間には時間を感じる器官が存在せず、時の流れというのは、あくまで脳がイメージしているものだそうです。あっという間に感じる時間も、本当はその時間の分だけ考え、行動していたはずで。ただそのとき考えたり行動していたりした内容は、後から振り返ると「〇〇をしていた」といった要約に圧縮されてしまうので、当時の時間が短かったように感じてしまうのだと思います。

もし仮に、過去に考えた思考の流れや、見聞きした映像や音声を、かなりの精度で思い出すことができる人がいたら、その人にとっては過去の時間も現在の時間も、同じぐらいの密度で感じることができるのではないでしょうか。

 

人間の脳は覚えたものを思い出すのが苦手だということは、学校のテスト勉強をしたことがある人なら誰でも知っていることだと思います。ノーヒントで過去の経験を思い出すことが難しい以上、将来の自分のために、何らかのヒントを残してあげるのは重要だと思います。

そのヒントは様々な形で残すことができると思います。例えば、写真を撮るというのはそのひとつですし、こうやってブログに書き残すというのもそうだと思います。本当に将来見返すかどうか、という問題もありますが、「見返そうと思えば見返せる」という状態にあることが重要なのだと思います。*1

 

以前に過ごしたはずの濃密な時間を後々にも有効活用するため、当時をトレース可能なレベルで残しておくというのは大切ですね。特に、今の私の仕事である研究業務は、日々試行錯誤、トライ・アンド・エラーの連続なので、そのとき何のために何を行い、何を得て何を考えたか、最終的な成功のために、ちゃんと残しておくことは必要不可欠です。

改めて、書き残す習慣づけをしてきたいと思います。ブログもがんばって継続していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。

 

それでは、また。

/後藤

*1:「作ろうと思ったときに作れるようにする」と言ってもよいと思います。余談ですが、この発想は私がガチャ主体のソーシャルゲームに今ひとつハマれない理由だと考えています。このあたりの話は、別の回に書きたいと思います。