こんばんは,ゴドーです。
今日は久しぶりに外部の人との懇親会がありました。
ちょっとした異文化交流でもあり,お互いによい刺激になったように思います。
それはさておき,抽象的な問題をどのように扱えばよいのかについて,改めて考えたことをまとめておこうかと。
職場でも頻繁にではないですが,時々抽象的な課題についてみんなで議論する機会があります。
問題の抽象度が高いと自然,議論する内容も抽象的な内容になり,ともすると収集がつかなくなりがちです。
みんなが自分の思うイメージを自分の言葉で語り合い,議論は収束するどころか,様々なベクトルが乱立していくだけのような。
もちろん,意見を出し合うこと自体に意義がある場合もありますが,せっかく議論したのだから,意見をそれこそ抽象して何らかのコンセンサスを得たいですね。
抽象的な問題に取り組むコツは,問題を自分で設定することだと思います。
与えられた問題文に対し,様々な解釈が可能な語句の意味を定義し,自分の考えに基づく文脈を決めてしまうことです。
そして,意見を述べるときも,まずこの定義と文脈を前置きした上で発言するようにすれば,(同意が得られるかはともかく)何を言っているのか分からないということにはならないでしょう。
抽象度の高い問題から意味と文脈を切り出すためには,それなりのツールを自分の中にもっておく必要があると思います。
自分自身を振り返ってみると,僕は時系列に当てはめていることが多いですね。
時間の流れに分けて数直線上に物事をプロットしていくようなイメージです。
時系列に当てはめれば自然と前後関係,因果関係が生まれ,説明もしやすくなると思います。
あとは,時系列にやや近いですが,移動や拡散のような運動のイメージで考えることもあります。
物理が専攻であること自体に関係はないと思いますが,何かが動く様子を想像しながら物事を考えています。
動くものはボールのような物理的実体があるものに限らず,「幸せ」とか「健康」なんかもモヤッとした柔らかい固まりとして頭の中で動かします。
問題文に登場する概念をそれぞれ動かそうとしてみると,概念ごとに動き方にはルールがあって,自ずと自然な解釈が生まれてくる感じ。
おそらく,物理的な身体感覚などから答えを直観的に探して,後から言葉に起こしているのだと思います。
ものの考え方は自由ですし,人それぞれ相応しい方法があるのでしょう。
その中でも多くの人に有効な方法というものがおそらくあって,それはものの本を読めばきっと書いてあるはずです。
考え方のツールをたくさん増やしておくことは,きっとあらゆる問題を考える上で重要なのだろうと思います。
料理をする際に,包丁とまな板だけでなく,フードプロセッサーにフライパンにと,様々な道具を用意した方がバリエーション豊かな料理ができるのと同じことです。
まだまだ賢くなれると思うと毎日が楽しいですね。
明日は春分の日でお休みですし,勉強に読書に励みたいと思います。
それでは,また。
/ゴドー