こんばんは,ゴドーです。
『なぜ疑似科学を信じるのか 思い込みが生み出すニセの科学』を読み終わりました。
世の中,疑似科学を広めるような本や,それに対する警鐘を鳴らすような本は多数あります。
しかし,そもそもなぜ疑似科学が普及してしまうのか? という点を語っているところがこの本の特徴。
著者は心理学の人なので,主に心理的な方向から疑似科学が信じられ広められる仕組みが述べられています。
疑似科学と科学の何が違うのか。
著者も繰り返し述べていますが,必ずしも研究対象によって区別しているわけではないのですね。
例えば超能力研究と聞くとアヤシイと感じるひとも多いかもしれませんが,これだってちゃんと科学足りうると。
では,両者の相違点はどこなのかというと,その理論体系の中で,理論体系自体を修正する仕組みがあるかどうかということでした。
たとえば科学の世界では研究成果を論文として学術雑誌に投稿することで共通知としていきますが,その過程で他の科学者の査読が入り,内容がチェックされる仕組みがありますね。
また,研究が進むに連れて過去の定説が覆ることも分野によりますが珍しいことではありません。
一方,疑似科学の特徴としては,自己の誤りを認める機能がないことであると。
自説に有利な研究結果は強調する一方で,不利な研究結果は黙殺したり,そもそも初めから反論されないような閉じた世界の中だけで研究発表したりするなど,批判と自己修正を許さない性質をもっているということですね。
自分自身の誤りを認めるというのは,なかなか難しいことです。
自己否定のためには,自分自身を客観的に見るメタな視点が必要になります。
知的な営みのなかでも,一段高度な働きであるといえるでしょう。
また,行き過ぎた自己否定は自己それ自体の価値を無為にしてしまう危険性も孕んでいます。
人間の場合でも,自己評価があまりに低すぎると鬱や自殺につながるなど,よろしくないことは間違いありません。
同じように,科学は自己批判のシステムをもつのだから科学の理論体系自体も本質的に信頼できないなどと,極端に考えてしまうひともいるかもしれません。
しかし,過剰な自己否定は不健全であるものの,やはり適度に自信を内省することは必要でしょう。
自分自身の誤りを認められるというのは,長期的に見てよりよい結果を生むためにも大切な姿勢だと思います。
また,個人的な感覚ですが,自身の誤りを認めて直せる人や思想は器が大きいと感じます。
なにかを信じるならばそういった器の大きなものがよいし,自分自身もそうありたいと思うものです。
批判されて守りに入ってしまうのは本能的な反応であろうと思います。
実際,疑似科学を信じるひとのなかには,周囲の反対を受けてより強固に信奉するようになるひともいるでしょう。
それは人間の機能として自然かもしれませんが,やはり自分としては,本能だけにとらわれない理知的な態度で物事に臨みたいと思う次第です。
それでは,また。
/ゴドー

なぜ疑似科学を信じるのか: 思い込みが生みだすニセの科学 (DOJIN選書)
- 作者: 菊池聡
- 出版社/メーカー: 化学同人
- 発売日: 2012/10/19
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 84回
- この商品を含むブログ (4件) を見る