こんばんは,ゴドーです。
夏至も近いですし,いよいよ昼が長いですね。
帰り道を歩いていても,まだ比較的明るいためか,ライトを付けずに運転している自転車をちらほら見かけます。
比較的明るいとはいっても,今日は曇天で薄暗くなっていたので,ライトを付けた方がよいだろうとは思ったのですが。
夜道を歩いていて,無灯火の自転車とすれ違うと非常に怖いですね。
運転者にとっても周囲にとっても,ライトを付けた方がトータルで合理的だと思うのですが。
ペダルをこいで発電するタイプのライトだと,灯火した分だけ進みが遅くなるので,それを嫌ってのことなのでしょうかね。
無灯火をするひとの中には,自分は周囲に気を付けているから大丈夫だという意見もあるかもしれませんね。
これはしかし,自分が周りからどう見えているか,あるいはどう見えていないかが分かっていないとしか言いようがありません。
闇夜に無灯火で走ってくる自転車はかなり接近してくるまで気付けないことも多いです。
歩行者側は十分注意しておく必要がありますが,そもそもそういった余計な注意コストを周囲に負わせているのが罪深いです。
あと,交差点などに無灯火で突入すると,同じ無灯火同士で衝突したり,自転車に気が付かず原則なしで突っ込んでくる自動車に轢かれたりしそうです。
交通事故のリスクを考えたら,ライトを付けて徐行するのが一番合理的だと思います。
混雑の中での歩きスマホもそうですが,自分にとっての快だけを考えているのはよろしくありませんね。
本人は「ちゃんと周りに気を付けている」「ぶつかることはない」などと考えているかもしれませんが,周囲が避けてくれているのだと気付いた方がよいでしょう。
歩きスマホが直ちに法に抵触するとかそういうわけではないですが*1,自分の都合だけを考えて周囲に負担を負わせるのは,品のない行為だと思います。
感情論的だと思われるかもしれませんが,こういうのは正に精神的な話,美徳とか規矩とか品位といったジャンルの話なのです。
ただ,品位を気にするのは品位があるひとだけ。
自身の品のない行動が気にならないひとは,歩きスマホのような利己的行動を平気でとることができます。
こうなると精神論では解決できないので,実害などのエビデンスを元に,最終的にはルールで取り締まることになるでしょう。
世の中がルールで縛られていくのは,品がないひとによるものということですね。
と,ここまで品位があることが良いと聞こえるような書き方をしてきましたが,フェアに書くならば,品位のある振る舞いというのも既に,ある種のルールで縛られた状態であるとも言えるでしょう。
では,全くルールに縛られていない原状態とはどんなものなのか?
そもそもそんなものは存在するのか?
この辺り,改めて考えてみると面白いのではないでしょうか。
それでは,また。
/ゴドー
*1:もしかしたら取り締まる法があるのかもしれませんが,よく知りません。