こんばんは、ゴドーです。
今日は家族と「どうしたら勉強が好きになるのか?」というテーマで話をしました。
オタク同士で会話したためか、最終的にその分野の「推し」になってくれるよう頑張るという結論に(笑)
しかし、ある意味これは真理なのかもとも思います。
そもそも人間には知識欲があって、物事の道理や構造を学ぶことに本能的な気持ちよさを覚えるのではないかと思います。
「なぜなぜ期」と言われるように、幼子が知的好奇心をもつのは非常に自然なこと。
知識を獲得することが生存に有利だったから、このような性質をもつようになったのではないかと勝手に思っています。
いずれにせよ、多くの人は生まれながらにして勉強が好きなはずです。
ただ、教育システムがこの知識欲を満たす構造になっていないというのが不幸なのですよね。
本来の学習は自らの興味・関心によって問いを立てて世の中をモデル化していくアクティブな作業だと思うのですが、どうしても現状の教育ではテストの比重が高く、与えられた問いに対して正しい答えを返すことが求められているように思います。
○✕が付けられる形式でないと客観的に評価しづらいという事情はわかりますが、テストの点を取ることに特化した教育を通じて学習意欲を継続できるかどうかはかなり難しいと思います。
というのは、単元ごとの個別学習や丸暗記を中心とした学習だと、個々の知識がいつまでたっても有機的につながらず、非常に退屈な作業になってしまうと思われるからです。
現状の教育システムでも、生徒の理解がある水準以上まで到達すれば、その分野の全体的な構造が徐々につかめるようになってきて面白さが分かってくることはあるとは思いますが、そこに至るまでに飽きてしまう生徒が大多数なのではないかと。
そもそも各教科の単元は、本来地続きであるはずの学問領域を勝手に区切ったものであり、必ずしもこの分類にこだわる必要ないはず。
学問領域の背理にある大いなる法則性の存在に畏怖すら覚えながら、具体的な事象について納得を重ねていく作業は非常におもしろいものです。
優れた教育というものは、微細と全体を的確に行き来しながら、マクロとミクロの両レイヤーで対象領域のモデルを感得できるようにするものであることが必要なのだと思います。
それでは、また。
/ゴドー