こんばんは、ゴドーです。
ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」に環境活動家がトマトスープを掛けて逮捕されたことがニュースになっていました。
こういう活動家のパフォーマンスは度々ニュースになりますが、正直言って幼稚だなぁと思いますね。
件の環境活動家は化石燃料の使用反対を主張するためにこのパフォーマンスを行ったとのことですが、この目的が本当なのだとしたら、明らかに目的達成には逆効果ですよね。
トマトスープが掛けられた「ひまわり」を見て、イギリス政府の人たちが「確かに言う通りだ! 目が覚めた」と言うでしょうか?
少なくとも関係者は冷ややかな目で見ているでしょうし、またこういった過激なパフォーマンスは日和見層に受けが悪いので、結果的に目的達成から遠のいたと思われます。
真に自分たちの主張を通そうと思ったら、相手がアクセプトしやすいロジックを準備する必要があるでしょう。
それをしないでただ自身の言いたいことだけを言うのは、床に転がって玩具が欲しいと泣き叫ぶ幼児とやっていることが同じ。
要は、自分たちのパフォーマンスの結果が相手にどう受け止められるか想像できていないということで、知性が幼稚だということですね。
また、仮にこのパフォーマンスが受け入れられないということを理解した上で実行しているとしても、それでもなお幼稚であることに変わりはありません。
もしこの方法に実効性がないと理解しているとしたら、化石燃料の停止を声高に主張している割に、実はその実現を本気で考えているわけではなく、別の目的があることになりますね。
その目的としては、たとえば仲間内での称賛が得られるとか、過激な主張をして注目されている自分に酔っているとか。
いずれにせよ狭い範囲での自己承認欲求を満たそうとしているだけで、高尚な理由でもなければ世の中のためになるわけでもなく、やっていることは氷菓コーナーに入った動画像をアップロードして炎上しているコンビニバイトと同レベルですね。
これはもう、幼稚であると言って差し支えないと思います。
人間の知性は年齢と共に成長していくとは限らず、訓練によってのみ成長していくもので、老練な小学生もいれば、還暦を過ぎても幼稚な人間もいるでしょう。
知性の段階を上げるためには、自分の思考パターンを客観視することが必要であり、自らの主張が他者にどう受け止められるか客観的に判断できるようにならなければなりません。
逮捕された2人の環境活動家が、自らの知性を省みて成長できることを期待します。
それでは、また。
/ゴドー