プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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皿洗いを引き受けるのは生物学的理由か

こんばんは、ゴドーです。


同棲を始めて、家事は奥様と分担で進めています。

お互いに忙しい日とそうでない日が不規則なので、当番制ではなく手が空いている方が担当するスタイルで。

今のところ、手が空いた方が先手で家事を行うようになっていますね。


生物の行動を遺伝子の繫栄で説明する進化生物学的には、あえて面倒な家事を引き受けることで将来的に助けてもらうことを期待しているというように説明されるかもしれません。

ただ、よりシンプルな生物種であればまだしも、人間ほどの行動を説明する上で進化生物学的な理論を当てはめるのは必ずしも適当ではないように感じます。

たとえば皿洗いは面倒ですが、かといって生存や子孫繫栄に大きく利するような行動ではないですね。

そもそも人類の現代生活が相当恵まれていて、淘汰圧を強く感じる状況ではないので、「結果的にそうなっている」というならまだしも、将来の利のため信頼を勝ち得るために行動しているという風には少なくとも自分は思えません。

利己的な遺伝子』の最後の方でも語られている通り、進化しすぎた人間の脳はもはや進化生物学的な縛りを越えて、より文化的なところで行動できるようになっているのではないかと思います。


それでは、また。

/ゴドー

メディアに出てくる「国民」って誰?

こんばんは、ゴドーです。


SNSでコメントやツイートが炎上する一つの理由として、主語が広すぎるというものがありますね。

「男は」「女は」「若者は」「高齢者は」「日本人は」等々…。

そもそも括り方が不適切な場合もありますし、母集団が広がれば広がるほど例外が出る確率が上がるので、そこが炎上理由になりますね。

類型化によって理解が進むことは大いにあるので、属性で括ること自体は必ずしも悪くないのですが、個を集団にまとめるだけそぎ落とされる部分があるので、適切に抽象化しないといけませんね。


日常生活でよく見かける例として「国民は~」というものがありますね。

特に政治ニュースで「国民の理解を得られない」という表現がしばしばなされます。

個人的には「いや、僕は理解してるけど」というケースも多くて、自分は国民じゃなかったのかなと思ったり(笑)


まあ、個人側にもメディア側にもポジションの偏りがあり、メディアは同じ偏りをもっている個人へ向けて好まれるメッセージを出しているところがあると思いますので、ニュースで言う国民は「(同じポジションの)国民は」という意味だと思うべきですね。

また、政治家側も政党があって支持者があるので、そもそも民主主義国家だからといって政治家は全国民の代表ではないのですよね。

だから、国会で「国民生活の~」と言っているときの「国民」も「支持者」と言い換えて差し支えないものであり。

日常会話の言葉は必ずしもその定義そのままに語られるものではなく、各自のポリシーに従って発言されているものだという理解が必要ですね。


それでは、また。

/ゴドー

コロナ禍で表出した”証言のゲーム”

こんばんは、ゴドーです。


それなりにバズっていたツイート。

「呪術的」というのは言い得て妙な表現かなと思います。


個人的に関連するかなと思う話題として、病理医漫画『フラジャイル』の最新刊にて印象的な言葉がありました。

「医者が拠って立っていいのは科学だけだ」

「臨床は科学じゃない 文学だよ 文学が描くのは人間だ」

主人公である病理医・岸先生と臨床医との会話で、これを聴いた新人病理医の宮崎先生は「真実を追求する科学と人に寄り添おうとする臨床」のどちらがいい医者なのかと考える、というストーリーになっています。

コロナ禍になってリスクコミュニケーションというワードが一層メジャーになりましたが、一般人を動かすのは科学的真実ではなく文学であるかもしれません。


また、かつて読書メモを書いた『エビデンス社会学』では、科学的真実と”文学的”主張とをそれぞれ「命題のゲーム」「証言のゲーム」として、エビデンスというものの性質が時代を経て変わってきたことが書かれていましたが、これも全く同じ流れですね。

同書の最後について、自分のメモを見返すと以下の通り。

20世紀後半から、科学によるリスク評価が科学の外(政治や経済)で必要となった。従来科学と異なり、高い不確実性・強い利害関係を持つ問題領域。原発事故やパンデミックなど、科学と政治が絡み合うが、科学では回答できない問題(ワインバーグ「トランス・サイエンス』)

トランス・サイエンスの解決策として、命題のゲームにおける正解を国家・企業・国民など多様な利害関係者に対して専門家が証言する二次的な証言のゲームが発生。ルーマンのいうところの、システム信頼から再び人格的信頼へ。

科学が証言のゲームだった時代から、命題の立て方と証明方法が整備されて科学が進歩し、いよいよ科学が政治的意思決定に関わり始めるまでに至った今、再び命題のゲームから証言のゲームに変わりつつあるという非常に鋭い指摘。

最初に挙げたツイートにおける「呪術」という表現も、ある意味では中世の疑似科学に近いですし、我々が直面しているのが証言のゲームであるひとつの証拠なのかなと思います。


それでは、また。

/ゴドー

寒さのせいか体調が悪い

こんばんは、ゴドーです。


驚異的な寒波が来ているということで、うちの近くでも積雪さえないまでも、雪がちらほらと舞い、寒くて強い風が吹いています。

特に日本海側は記録的な雪害になる可能性もあるということで、大事ないことを祈るばかりですね。

 * * *

低温のせいか分かりませんが、今日は全体的に体調がすぐれませんでした。

症状としてはめまいがするのと、あとはお腹の具合がおかしい感じ。

もしかしたら低気圧のせいかもと、頭痛ーるで紹介されていた耳を引っ張る運動をしてみたら多少は楽になりましたが、単なるプラセボかもしれません。


体力回復のため、夜はとろろかけ豚丼を作って卵を乗せて食べました。

寒さのピークは今夜ということで、最大限暖かい格好をして寝て、起きたら元気になっていることを期待したいと思います。


それでは、また。

/ゴドー

テレビのコメントを信頼しなくなったきっかけ

こんばんは、ゴドーです。


引っ越して以来、しばしばテレビを観る機会が増えました。

毎日多様なコンテンツが配信されているのは素直にスゴイし、視野を拡げる材料になるかなと思います。

ただ、テレビで放映されている内容は、番組にも依りますが基本的に穿った目で見てしまいますね。

ファクトでない情報が混ざっている可能性があるし、コメントはどうしてもやらせを感じてしまいます。


学生時代、大学の正門前でニュース番組の取材を受けたことがあります。

アナウンサーに質問されて回答するわけですが、カメラを回す前に答えを踏まえてシナリオを作り、じゃあこういう風に喋ってくださいと言われて再度コメントすると。

正確にはこれは「やらせ」とは言えないかもですが、どうしてもわざとらしさが拭えない気がして笑ってしまった記憶があります。

全てのコメントが全て、同じように撮影されているとは限りませんが、思えば僕がテレビのコメントを全く信頼しなくなったのはこれがきっかけだったかもしれません。


それでは、また。

/ゴドー

アアルト大学の風景を観ながら

こんばんは、ゴドーです。


ちょっとしたきっかけで、フィンランドの首都ヘルシンキ近くにある「アアルト大学」の風景をYouTubeで観ました。

学生時代に短期留学していたことがあり、個人的に思い出深い大学。

建物の外装は赤レンガ調で落ち着いた雰囲気ですが、中に入ると北欧建築らしいシンプルかつ現代的な意匠で素敵な空間です。

www.aalto.fi


「アアルト大学」は「ヘルシンキ工科大学」「ヘルシンキ経済大学」「ヘルシンキ美術大学」の3つが統合されてできた大学ということで、科学・経済・美術が一体となっているまさにUniversityの名にふさわしい大学です。

科学者にせよ経済人にせよ、美術の素養、特にモノの見方と伝え方というコミュニケーション技法としてのアートは非常に重要だと感じており、そういう意味でアアルト大学の環境は非常に良さそうですね。

個人的に受けた美術教育は美術史の勉強+創作実習という構成だったように記憶しますが、自然言語に依らない伝達手段という視点でアートを学ぶようになると、もっと人類分かりあえるのではないかと思ったりもする次第です。


それでは、また。

/ゴドー

久しぶりになか卯で食べて

こんばんは、ゴドーです。


今日は久しぶりに「なか卯」で食べました。

大学生の頃に住んでいた街になか卯があり、そこで初めてこのチェーン店の存在を知ったのですが、一瞬でほれ込んでしまいました。

甘めの牛丼と親子丼が非常に好みなのですよね。


定番の親子丼+小うどんセットに唐揚げを食べましたが、親子丼とうどんは変わらぬ味で懐かしかったです。

唐揚げについては、昔は小さくコロコロした5個セットだったものが、ひとつひとつ大きくて食べ応えのあるものに変わっていましたが、相変わらず衣がサクサクで美味しかったですね。

他に当時から変わっていたこととしては、紙媒体のクーポン券がなくなって、代わりにアプリになっていたことでしょうか。

クーポンを使ったらまたクーポンが貰える無限輪廻が好きだったのですが、これもまた時代ですね。

なにはともあれ、新居近くに大好きななか卯があることが分かったので、今後もちょくちょく通おうと思います。


それでは、また。

/ゴドー