プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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侵略戦争と防衛戦争について

こんばんは,ゴドーです。


買い物に出たら,家の側を共産党の演説カーが走っていきました。

ロシアのウクライナ侵攻に対し「日本も戦争は繰り返さない」と主張しており。

大筋同意なのですが,一方で「戦争」と一口に言っても色々あるので,定義をしないと議論ができないなと感じました。

なお,言うまでもないですが僕は国際紛争について何ら詳しくないし,この意見はエビデンスレベルが非常に低いのものです。


争いは複数の主体間で行われるものですが,その結果如何に関わらず,開戦時は仕掛けた側と仕掛けられた側がいるはず。

元寇で仕掛けてきた側は元ですし,先の日米大戦で武力攻撃を先に行ったのは真珠湾に攻撃した日本ですね。

武力攻撃はそれ以前の経済制裁が切っ掛けだなどの意見もありえますし,仕掛けた側の定義にも様々あるでしょうが,ここでは武力攻撃を行った側が仕掛けた側であると考えています。


争う主体間に仕掛けた・仕掛けられたの区別ができるとすると,同じ戦争でも前者にとっては「侵略戦争」で,後者にとっては「防衛戦争」と異なるのではないかと。

ここでも侵略や防衛という言葉の定義揺れがありえますが,単純に先手・後手と同じ分類で使っています。

つまり,直感的ではないかもしれませんが,日米大戦は日本にとっての侵略戦争で,アメリカにとっての防衛戦争という立場です。


個人的な意見として,日本から再び侵略戦争を起こすのは反対です。

彼我の生命を奪うのは究極的な人権侵害だし,遺族に禍根を残し,結局は互いの成長を阻害することになると思います。

もちろん,武力でなくとも経済的搾取によっても人権侵害は起こりますし,日本も他国に対して武力攻撃しなければ何をしても良いと言っているわけではありません。

ただ,直接人命を奪う可能性がある侵略戦争は最優先で避けるべきであるということです。

侵略戦争は主体が仕掛ける側なので,主体の価値観で仕掛けるかどうか選べる以上,日本としては自ら侵略戦争を起こさないという価値観を持つべきだということですね。


一方,防衛戦争は戦争を始めるかどうかの主導権が仕掛ける側にあり,仕掛けられる立場であるこちら側にはコントロールできないというのがポイント。

アドラー心理学を持ち出すまでもなく,他者というのは基本的に思い通りにならないものですから,こちらがどのような価値観を持とうとも,仕掛けられるときは仕掛けられるものでしょう。


個人的には自由というものをなにより尊重したいし,他者がこちらの主権を侵害しようという動きに唯々諾々と受け入れたくはありません。

すなわち,他国の侵略に対しては反抗すべきだし,そのための防衛戦争はやむを得ないという考えです。

もちろん自衛のためであっても戦争は嫌だし,従軍だってしたくないですが,それでも自らや親しい人々の人権が損なわれるリスクが非常に高まってくれば,訓練を受けて戦うつもりです。

そうは言っても戦争するリスク自体が高いものですし,攻められない・攻めさせない施策を普段から行っておくべき。

そのための防衛力拡充やルール作りは必要であると考えます。


基本スタンスは以上ですが,それでは敵基地攻撃は防衛のうちなのかとか,考えが足りない部分はまだたくさんあります。

ロシアのウクライナ侵攻に心を痛めるばかりではなく,自分事として改めて考えてみる必要がありますね。


それでは,また。

/ゴドー