こんばんは、ゴドーです。
岩手にある認知症高齢者施設なのですが、スタッフ対応が手厚く、外を歩きたがる利用者を止めることなく、横で寄り添いながら「さんぽ」しているのでした。
「家に帰ろう」とか「職場に行かなきゃ」とか、結局は実現できないのですが、それでもご本人の中である種の納得があるというか、やりたいことができている満足感があるように見えました。
思い通りに歩けるというのは、人間の行為主体性を支える大きな要素であると考えています。
どこかに行きたいとか、あれを手に取りたいとか、人間の欲求の大部分は身体動作を必要としており、特に歩くというのは根幹のひとつではないかと。
また、移動によって見える景色が変わるというのも、ヒトの好奇心や冒険心に対する刺激として重要な気がします。
祖父母が足を悪くして自分ひとりで歩けなくなってから、ずっとテレビを観るだけの受け身な生活で、みるみる老いていったのを見て、そう強く感じました。
まだ歩けない赤ちゃんでも、泣き叫んで抱っこしてもらうことで、離れたところにいる親やテレビを見ようとしています。
本当は親の手を借りず、思いのままに歩きたいでしょうし、そのある種の劣等感が発達につながっているのでしょう。
認知症になった高齢者も少し赤ちゃんに近いところがあるのかなと思われ、歩きたいと思ったら自由に歩けるというのは、当人の幸福に欠かせないのだろうと思いました。
それでは、また。
/ゴドー