プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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母国語でも文章読解は難しい

こんばんは,ゴドーです.


今日は昨日に引き続きコーディング.

「宣言とダミー実装を書く→テストコードを書く→実装を書く」のサイクルで,なかなかいい感じに進みました.


晩御飯は相方さんが作ってくれたカレーを食べました.

カレーってメジャーな料理の割には,普段あまり食べる機会がないのですが,いつ食べてみても安心する味がしますね.

何か隠し味が入っているみたいで,赤っぽいカレーでした.美味.


Twitterを眺めていると,こんがらがった議論になっている様子を見ることがあります.

お互いの主張が平行線のまま議論が展開しているだけならばよいのですが,一方もしくは双方が,相手の発言を読み違えていて,収拾がつかなくなっているケースもままありますね.


常々思うこととして,例え日本語を母国語として流暢に話すことができ,日々のコミュニケーションにも何ら支障がない人であっても,日本語で書かれた文章を読み取れない可能性があるのではないかと.

会話をするというのは,次々と流れてくる言葉を認識して,レスポンスを返していく動的処理です.

脳への入出力が連続して起こり,前の情報が残っているうちに次の情報が入ってくるので,対応しやすいのではないかと思います.

もちろん,相手の表情や口調などといった付加情報があるというのも,意思疎通の大きな助けになっているでしょう.


聞いた話なので,正確なところは分かりませんが,ある認知科学の実験の話を教えてもらいました.

お母さんと赤ちゃんが別室にいて,それぞれカメラとディスプレイ,マイクを使ったテレビ電話ができるようになっています.

ディスプレイ越しの遠隔コミュニケーションですが,赤ちゃんはお母さんをちゃんと認識して,笑ったり声を上げたりするそうです.

ところが,お母さん側から送られてくる映像に4秒程のディレイをかけると,赤ちゃんはディスプレイに映るお母さんへの興味をなくしてしまうそうです.

映像に遅れが入ることで,自分の声や動作に反応して相手が動いたり喋ったりするという連鎖が切れ,コミュニケーションできなくなってしまうのだと思います.


もちろん,成長するにつれて,多少会話のリズムにずれがあっても意思疎通ができるようになります.

衛星中継などを見ていると,ぎこちないながらも,会話ができているのが分かりますね.

しかし,衛星中継のようなディレイのある会話では,相手からのレスポンスが返ってくるまで,そもそも自分が何を相手に言ったのかを意識的に覚えておく必要があるはずで,普段の会話よりも集中力を必要とすることは間違いないでしょう.


文字を介したコミュニケーションというのは,このディレイが非常に大きい状況であるとも捉えられると思います.

Twitter上でのリプライだけでなく電子メールなどもそうですが,あるメッセージからそれに対するメッセージまでの間に,数十分とか数時間とかの空白が生まれることは往々にしてあります.

そのため,相手からのメッセージを読み解くためには,口頭での会話以上に,これまでの会話の流れを意識して展開する必要があるでしょう.

また,相手への返答を考え,それを文章に落としている間にも,頭に入力した情報は薄れていってしまいます.

ここでも非常に集中力を要しているのです.


相当な集中力を持ってあたらなければ,文章を介して意思疎通することは(特に相手が背景を異にする場合)難しいでしょう.

口頭での会話のように,サラッと読んで浮かんできたイメージに対してサラッと返すのでは,特に複雑性の高い話題の場合には,ほぼまともなリプライになっていないのではないでしょうか.

皆が現代文のテストで満点を取れるわけでもありませんし,文章の読解というのは,自分を相応にeducatedしなければ身につかないスキルなのだと思います.


あと,Twitterなどでよく見られるのは,相手の文章からは読み取れないであろう文脈まで読み取ってしまい,会話が通じなくなっているパターンですね.

100%行間を読まずに書いてあることだけで意思疎通しようというのは,自然言語を使ったコミュニケーションではほぼ不可能でしょうし,多少は文脈を読み取ること自体は必要だと思うのですが,それが過剰になってしまうのですね.

このことについても,また記事を改めて考えてみたいと思います.


それでは,また.

/ゴドー