プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

MENU

作り手が作品のメッセージを押し付けるのはいかがなものか?

こんばんは,ゴドーです。


Twitterの別アカウントで少し話題になっていた話。

物語のメッセージを作り手側がアピールすることの是非について,どう思われますでしょうか?

メッセージをアピールするというのは,たとえば「感動の家族愛」とか「全米が泣いた」とかみたいなものですね。

ドラえもんの3D映画では「ドラ泣き」というキーワードで宣伝されており,流石に押し付けが過ぎるのではないかという意見もあったようです*1

個人的には,メッセージは受け手側が自由に解釈すればよいと思っており,作り手のアピールが強ければ強いほど冷めてしまいます。


使い古された論ではありますが,エンタメが飽和している現代では,客を分かりやすく惹き付ける必要があるのかもしれません。

コンテンツのネタバレサイトやファスト映画が流行っているのは,腰を据えて鑑賞する時間がないからだという意見もあるでしょう。

実際,僕もYouTubeの動画を流しながらゲームをするなど,複数のコンテンツを並列で消費することが増えています。


しかしながら,たとえ衆目を集めるアピールが必要だとしても,作り手自らがコンテンツのメッセージを要約してしまうことは,結局はコンテンツ自体の価値を損ねていることになるのではないでしょうか。

僕がひねくれ者だというのもありますが,鑑賞法を押し付けられると逆らいたくなるし,コンテンツへの興味が薄れてしまいます。

さらには,極論ではありますが,もしコンテンツを一言で語れてしまうというなら,もはやそれなりの時間を掛けてコンテンツを鑑賞する必要がないということになってしまうのではないでしょうか。

メッセージの押し付けは,作品を作り手自らファスト映画化しているように思えてなりません。

せっかく時間を割くのだったら,キャッチコピーの装飾がなくともコンテンツの中身だけで重厚なメッセージを感じさせる,そんな作品を観たいものですね。


それでは,また。

/ゴドー

*1:「ドラ泣き」でGoogle検索するとサジェストにネガティブワードが多く出てきます。