プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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品位なくして議論はできない

こんばんは、ゴドーです。


目的を達成するためにあらゆる手段を講じる、という貪欲な姿勢は嫌いではありませんが、とはいえ最低限の品位はあってほしいもの。

たとえば声を荒げて相手を恫喝したり、失礼な物言いで相手を怒らせるといった手段を意識的にか無意識的にか利用する人がいますが、たとえそれで上手く望みが叶うとしても、上品な姿ではないなと思うわけです。


もちろん、状況によって例外は存在します。

たとえば誰かが暴漢に今まさに襲われそうになっているとき、まあまあ落ち着いてと丁寧に話しかけるのが正解とは限りません。

むしろ、大声を上げて暴漢を威圧し、ひるませる方がその場にふさわしいふるまいかもしれません。


しかし、そうした非常事態ならいざしらず、普段の生活において相手に失礼な態度をとることは、物事を建設的に進める上でいかがなものかと思います。

相手を怒らせて”論破”したつもりでも、それで相手が納得することはないでしょうし、物事が解決したり前進したりする可能性は低そうです。


なので、どんなに正義や義憤を語ろうとも、失礼な表現を平気で使う人は、本気で物事を変えよう、問題を解決しようとは思ってはいないのだろうと思っています。

むしろ、そういった過激なパフォーマンスをすることで支持を集めることが生業になっているのだろうと。

そうした人にとっては、むしろ問題が解決してしまうと飯の種がなくなって困るわけで、意図的にかどうかはさておき、問題をこじれさせようとする姿も見受けられます。

たとえ無意識的にであっても、語気を荒げて相手を委縮させればそれで話が通ると思っているのは、非常に幼稚だと感じますし、その方法では建設的な議論はできないのだということをなんとか理解してほしいと思うばかりです。


それでは、また。

/ゴドー