プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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この機にトップガンを履修しよう

こんばんは,ゴドーです。


友達が「トップガン」を観たというので,例の「マーヴェリック」かと思ったら初代の方だったようで。

曰く,来週「マーヴェリック」を観る予定なので,予備知識をつけるたのだとか。

トム・クルーズファンの友人に色々教えてもらいながら,初代をAmazonプライムで視聴したようです。


改めて調べてみるまで知らなかったのですが,「トップガン」シリーズは初代と「マーヴェリック」の2作しかないのですね。

超有名なタイトルだから,何作もあるのかと勝手に思いこんでいました。

初代から最新作まで30年も間が空いているというのはおもしろいですね。


既に「マーヴェリック」を観てきた別の友人によると,最新作の方は老兵の哀愁みたいなものがあるのだとか。

なんとなく「メタルギアソリッド4」を連想しましたが,スネークの歳の取り方はまた特殊なので違うかな。


戦闘機に詳しいわけではありませんが,『スカイ・クロラ』は全巻読んでいるし,ドッグファイトに心踊る気持ちは持っています。

どうせなら最新作は大画面で視聴したいし,僕も初代を予習してから映画館に足を運ぼうと思います。


それでは,また。

/ゴドー

献血センターが大盛況でした

こんばんは,ゴドーです。


今日はもはや恒例となってきた献血デーでした。

いつも通りに吉祥寺の献血センターで献血するのですが,今日はやけに混み合っていました。

僕は日時予約して献血に行きましたが,予約がない駆け込み参加もかなり多かったみたいです。

採血チェアはほぼ埋まり,待合所の椅子もいっぱいになっていました。

駆け込み参加の人が1時間半くらい待つと言われて,諦めて帰るところも見かけました。


コロナの情勢が落ち着いていることで,街中に人が増えているのは感じていましたが,それに伴い献血人数も増えてきているのでしょうか。

これまでは予約を取ろうとすればいくらでも思い通りに枠を取れたのですが,今回は第一希望日が既に予約でいっぱいになっており,次の献血は1ヶ月先になってしまいました。

まあ,自分が献血しなくとも他の人々が献血してくれているということで,好ましい状況であることは間違いありませんが。


今日は初めて献血するのだとかいう高校生2人組も見かけました。

老若男女,様々な人々の愛護精神が見える献血センターはいいところですね。


それでは,また。

/ゴドー

「シン・ウルトラマン」観てきました

こんばんは,ゴドーです。


遅ればせながら「シン・ウルトラマン」を観てきました。

その呼称に恥じない最高の空想特撮映画でしたね。


僕自身は,ウルトラマンシリーズ自体についてあまり知っているわけではありません。

子供の頃にビデオで「ウルトラセブン」を観,平成シリーズを何本かリアルタイムで追いかけ,近年は「ウルトラマンZ」を最後まで観たくらいです。

なので,詳しい事情を知っているわけではありませんが,企画・脚本の庵野さんが公式Webサイトで語っている通り,デザイナーである「成田亨氏の目指した本来の姿を描く」という信念が本当に伝わってきました。


”外星人”であるウルトラマンの思考はある意味で異質で,聖人みたいな浮世離れ感があるのですが,それこそが「真実と正義と美の化身」なのかなと。

作中でも「神に最も近い」と言われていましたが,そうした超人類的な存在に対して,「カトクタイ」がただ守られるだけの存在ではなかったのがとてもよかったですね。

シン・ゴジラ」もそうですが有能な人々の活躍は観ていてグッときますし,ポジティブな刺激をもらえました。

名作であろうことは観る前から分かっていましたが,やはり最高の作品でしたね。


それでは,また。

/ゴドー

shin-ultraman.jp

『パタリロ!』の引き出し

こんばんは,ゴドーです。


久しぶりに『パタリロ!』を読み返しています。

ギャグありSFありファンタジーあり少年愛ありと,なんでもありの名作少女漫画。

主人公のパタリロがなんでもできるキャラということもありますが,とにかく話の引き出しが広い!


ふと,クリエイター側としてこんな作品をつくるのは大変だろうなと思いました。

唐突なギャグでページ稼ぎできるとはいえ,これほどバラエティに富んだ話を生み出せるのがスゴイ。

それに,場繋ぎ的なギャグだってアイデアが必要ですからね。


そういえば,物語を創るという作業を長らくしていないなと気付きました。

頭のトレーニングがてら,自由な発想で作話してみるのもおもしろそうですね。


それでは,また。

/ゴドー

施策はあくまで受益者目線で

こんばんは,ゴドーです。


Web上での子供のマスク着用に関する議論を見ていました。

個人的には「マスクを付けることによる利益」と「マスクを外すことによる利益」を比べて,前者が高ければマスクを付け,後者が高ければマスクを外せばよいというシンプルな考えです。


子供に関する議論で難しいと思うのは,直接の受益者である子供自身が議論に参加していない場合が多いこと。

べき論で言うならば,受益者である子供自身がどうしたいかが問題であり,大人は子供の意思決定に十分な情報提供をすべきなのでしょう。

もちろん,言葉が通じない幼子については保護者が代行して守ってあげる必要がありますし,子供が成人するまでは後見人として責任をもつべきだと思いますが,主導権は子供側にあるべきだと思います。


ちなみに,あまり同意が得られない考え方かもしれませんが,「子供が可哀相」というのは可哀相と思う大人の利益に関することであり,子供に関する政策を考える上では筋が悪いと思っています。

同様に「被災地の人が可哀相」「戦地の人が可哀相」などという意見も,個人が思う分には全く問題ないし,心優しい意見だとは思いますが,その感情だけで支援を行おうとすると,しばしば当事者の利益からズレるのではないかと危惧しています。

安寧な立場から「可哀相」と一方的に哀れむのは相手の尊厳を毀損していると言えなくもありませんし,特別必要とされていない支援(たとえば千羽鶴とかボロすぎる古着とか)に繋がる可能性があるのではないでしょうか。

施策はあくまで受益者の立場で考えるというのが大切ですね。


それでは,また。

/ゴドー

言語化されているUIデザイン

こんばんは,ゴドーです。


任天堂のゲームソフト「スプラトゥーン」のUIデザインに関するWeb記事を読みました。

記事そのものは2018年のものだし,自分もかつて読んだことがあったものですが,改めて読み返してみるとおもしろいですね。

careerhack.en-japan.com


自分がよく遊んでいるゲームですし,見覚えのあるものばかりなのですが,言われてみないとなかなか意識できないものばかりですね。

むしろ,UIデザインがゲームの世界観に自然に溶け込んでいて意識できないのかもしれません。


また,デザインの意図が理路整然と説明されているのも興味深いところですね。

チームでゲームを作っているからこそ,デザイン意図を言語化することが自然に行われているのかも。

個々のUIデザインはゲームの世界観に沿ったものですが,背理にある意図はゲームに依らない「任天堂マインド」がありそうな気がします。

さらにもっと抽象して考えると,ゲームに限らないデザインの考え方が隠れているかもしれませんね。


それでは,また。

/ゴドー

『ベルセルク』連載再開に敬意を表して

こんばんは,ゴドーです。


作者の三浦建太郎先生が昨年急逝され,休載していた『ベルセルク』について,続きが執筆されるというニュースが話題になっています。

作画やストーリー構築の点で難しさがあるのかなと思っていましたが,作画については実力あるアシスタントの方がいらっしゃいますし,ストーリーについては三浦先生から生前に最後までの構想を伝えられていたという森先生が監修されるとのことで,故人の引き継ぎとしては最高の形ではないかと思います。


ベルセルク』というタイトルの重みを考えると,連載を引き継ぐという判断は相当プレッシャーのあるものだったと思います。

また,表現者として独自の解釈を出したくなる部分もあるであろうところ,三浦先生が生前に語っていた内容から逸脱せずに最後まで書き切るというのは,ある意味より過酷な道ではないかと。

自分の作品であればどこまで書き切るかは自分の自由で,ある種の妥協ができる部分ではありますが,ただでさえ故人から受け継いだ作品であることに加え,三浦先生がまさに命を削って描いていた『ベルセルク』という作品を受け継ぐというのは並大抵のことではありません。

森先生ならびにアシスタントの方々,ヤングアニマル編集部の覚悟に敬意を表すると同時に,『ベルセルク』という作品の最後の一コマまで心して付いていくつもりです。


それでは,また。

/ゴドー