プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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「分かったつもり」の見逃しを減らすために

こんばんは、ゴドーです。


「分からない」という感覚に敏感であることは、実はとても大切なのではないかと最近つくづく考えています。

そもそも物事が100%理解できるということはなく、「分かる」と「分からない」の間を揺れ動くものであると思います。

そのなかで「これについては分かっている」ことを知ること以上に、「これについては分かっていない」という感覚をもつことの方が意外に価値があるのではと。

というのは、分かっていないという認識でいる方が、状況変化に対して理解を更新する上で安全な姿勢であると思うからです。


また、「分かったつもり」になることで、情報を深掘りできなくなる恐れもあると思います。

根本的に、人間の認知は「分からない」ことに鈍感ではないかと思っています。

進化の過程で獲得したヒューリスティックのおかげで、どんな問題にもなんとなく答えを出したり、それらしい解釈を生み出すのが非常に得意であろうと。

それはそれで素晴らしい能力なのですが、実は分かっていないことを見逃してしまうことで、機会損失している部分がありそうです。


勝手に「分かったつもり」になるヒューリスティックを越えるためには、知識と関心をもつことと、物事をデッサンするように観察することが必要だと思います。

網膜に映る情報は様々ですが、脳のヒューリスティックが必要な情報と必要でない情報を勝手に選り分けてくれています。

この機能がないと情報処理に手一杯で大変になるので、ヒューリスティック自体はありがたいものですが、無意識下で切り捨てられた情報におもしろい種が眠っている可能性は常にあるでしょう。

意識的に知識・関心をもつことで網膜に映った情報に気付く確率が上がる可能性がありますし、またデッサン的な観察を行うことで脳のヒューリスティックを意図的に封印することができるのではないでしょうか。


それでは、また。

/ゴドー