こんばんは,ゴドーです。
『メタバース進化論』を読みつつ,自分がどうメタバースと関わっていくか考えていました。
時代の流れとして多くの社会活動がメタバース上に移行していくと思っており,実質的にメタバースと関わらないという選択肢はなくなっていくだろうと思っています。
ただ,過渡期においてどういう立ち位置で関わっていくかは考えどころだと思います。
平成の間にインターネットが社会のアタリマエとなり,ほとんど全員がウェブにつながる端末を持つようになりました。
自宅からインターネットにアクセス可能になったのは小学生の頃でしたし,高校生になってようやく携帯電話をもつ友達が現れ始めたくらいでした。
今では社会のあらゆる場面で連絡先のメールアドレス入力を求められますが,30年前は大多数が個人アドレスすら持っていなかったことを考えると,社会は大きく変わったと思います。
そして今,これと同じことが再び起ころうとしているとしているのですよね。
メタバースが新大陸だとすると,メタやマイクロソフト・ソニー等がメタバースの標準化団体を作ろうとしている今になってMeta Quest 2を買っている自分は,さながらゴールドラッシュに釣られてアメリカ大陸に渡った開拓者でしょうか(既にだいぶ出遅れ組だと思いますが)。
新大陸上に大企業たちが”新政府”を作ろうとしていると言えなくもない状況ですが,個人としてメタバース上での活動を楽しんでいる”原住民”との関係や,新大陸上での社会活動が今後どう広がっていくのか,まさに仮想空間上での大開拓時代がやってきていると思います。
おそらく,(自分を含めて)大部分の民衆は大企業たちが作ったプロトコルの上でメタバースに参加していくようになるのだと思いますが,とはいえ現実のアメリカ史のように原住民が迫害されることにはならないでほしいですね。
少なくとも,だだっ広いとはいえそれでも有限の土地しかなかったアメリカ大陸と比べて,メタバース上はほとんど無限といってよい領域が広がっているわけで,縄張り争いのようなことにはならないのではないでしょうか(それとも有限の情報資源を取り合うことになるのでしょうか。。)。
僕個人としては,メタバース上で展開される新しい世界は大好きな森博嗣小説の世界そのもので非常に期待している一方,先陣を切ってメタバース上で活動するには,まだ物理世界でやりたいことが残りすぎているといった状況です。
また,技術者というよりは研究者のつもりなので,メタバースで社会がどう変わっていくのかや,メタバース上での体験が人間の認知にどう影響を及ぼしていくのかといったことに興味がある一方,メタバース上で何かをクリエイトしていく方にはあまり注力しない予定です(Unityでなにか簡単なコンテンツを作ってみようとは思っていますが)。
いずれにせよ,メタバースという言葉だけを念仏のように唱えるなんちゃって意識高い系みたいにならないよう,まずは「ワタシ メタバース チョットワカル」と言えるレベルまで関わっていきたいですね。
それでは,また。
/ゴドー