プロジェクション・フィルム(仮)

いろいろ考えたことを言語化して焼き付けておくためのブログ。話題は研究・身体・生活から些細な日記まで雑多に。ほぼ毎日21時更新です

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メディアに出てくる「国民」って誰?

こんばんは、ゴドーです。


SNSでコメントやツイートが炎上する一つの理由として、主語が広すぎるというものがありますね。

「男は」「女は」「若者は」「高齢者は」「日本人は」等々…。

そもそも括り方が不適切な場合もありますし、母集団が広がれば広がるほど例外が出る確率が上がるので、そこが炎上理由になりますね。

類型化によって理解が進むことは大いにあるので、属性で括ること自体は必ずしも悪くないのですが、個を集団にまとめるだけそぎ落とされる部分があるので、適切に抽象化しないといけませんね。


日常生活でよく見かける例として「国民は~」というものがありますね。

特に政治ニュースで「国民の理解を得られない」という表現がしばしばなされます。

個人的には「いや、僕は理解してるけど」というケースも多くて、自分は国民じゃなかったのかなと思ったり(笑)


まあ、個人側にもメディア側にもポジションの偏りがあり、メディアは同じ偏りをもっている個人へ向けて好まれるメッセージを出しているところがあると思いますので、ニュースで言う国民は「(同じポジションの)国民は」という意味だと思うべきですね。

また、政治家側も政党があって支持者があるので、そもそも民主主義国家だからといって政治家は全国民の代表ではないのですよね。

だから、国会で「国民生活の~」と言っているときの「国民」も「支持者」と言い換えて差し支えないものであり。

日常会話の言葉は必ずしもその定義そのままに語られるものではなく、各自のポリシーに従って発言されているものだという理解が必要ですね。


それでは、また。

/ゴドー